「ゼロではない発言」に思う

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海水注入による、再臨界の可能性が「ゼロではない」発言。
海水注入の中断指示を、誰が言ったか、言わないかなんて、
くだらないことで、もめてますね。

総理は、トップなんだから、
私が決断しましたって、一言いうだけで、いいのにって思う。

誰がどう考えても、東電まで乗り込んでいった行動からして、
総理に相談(連絡)何もないまま判断したとは思えない。

遡ると、中国の漁船の船長のときもそうでしたね。
限りなくあやふやな言い回し。

あれも、結局、現場の判断ということになったけど、
実際は、違うでしょ、ってみな思ってる。

なんなんだろうね。

トップが判断できないなら、辞めるしかない。
判断したけど、隠してるならなおさらNG。

もし・・・

これが、100年前だったら、大変なことですよ。
いや、戦国時代とかなら、もっと大変だ。

戦国時代なんか、それこそ、分単位、秒単位で、
いろんな決断をしないと、命がないって状況だったでしょ。
きっと。

みんな、忘れてるけど、
自分たちの先祖って、そんな時代を生き抜いてきたんですよね。

時代小説読んで、フィクションみたいに思ってるかもしれないけど、
それは、昨日の昨日・・・そのまたずっと前の昨日なのにね。

最近、仕事をしていて思うこと。

判断して、責任とる人。
判断できずに、責任もとれない人。

この差は、大きい。
天と地の違いがある。

本当は、給料でいったら、10倍くらい違っていいくらい。

「鳴かぬなら、鳴くまで待とう」

「鳴かぬなら、鳴かせてみせよ」

「鳴かぬなら、殺してしまえ」

有名な三武将の比較ですが。。。

どれにしたって、自分がそう判断したってことだから、
優劣はないでしょう。

「おれが、そう判断した」って、
かっこよく、言ってほしいものだ。

日本のリーダーなら。

「・・・ゼロでない・・」

明日、自分に隕石が落下するかも!
明日、交通事故にあっちゃうかも!
明日、宝くじ一等あたるかも!

ぜんぶ、ゼロじゃないでしょう。
そもそも、可能性って言葉があるってことは、
ゼロって概念もなけりゃ、100%もないってことでしょ。

いろいろな可能性があるけども、
「私が判断して、そう決めました」
って、なんでなんないの???

顔洗って出直さなきゃいけないやつらが、増えてきた。
しっかりせい!


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