一日は24時間あるけれど。
一秒を感じる瞬間は、そう多くないかもしれません。
ただ、たまに、一秒を感じる瞬間もあるものです。
たとえば、通勤電車を降りて、歩き出した時。
ふと、女性専用車に乗っている男性を発見して・・・
(この人は、誰かの介護かな?それとも気付かずに乗ってる?いや、知ってて?)
自分の視界に入ったのは、ほんの一秒なんだけど、
妙に気になったり。
お互いに、携帯に出られなくて、相互にかけ合っちゃうとき・・・
う~ん、一秒まってれば、お互い話中にならないのに~。
(実際には一秒じゃだめだけど、体感的にそんな感じ)
会社によくくるセールスの電話で・・・
おしい!もうちょっと、「間(ま)」(一秒でよし)を持って話してくれたら、
もう少し話を聞いてあげられるんだけど・・・
あなた、呼吸しないくらいの勢いで話しちゃ、切りたくなっちゃうよ~、とか。
そう、野球でいったら、アンパイアが、ボール・ストライクのきわどい判定のとき。
まさに、1~2秒おいてから、判定する瞬間とかね。
一日が、一秒の積み重ねだとしたら、
失敗も成功も、どこかの一秒で決まってくるのかもしれない。
それが、声の抑揚であったり、「間」だったり、視線だったり、しぐさだったりね。
自分が何気なく過ごした一秒で、相手に強烈なインパクトを与えることもある。
それは、たいてい、机に向かって一人で作業しているときには、
大して影響がないかもしれませんが、
相手がある場合だと、特に、気をつけないといけないのかもしれません。
いや、決して24時間、気を抜くななんていってるんじゃありません。
自分もいっぱい気を抜くときは多いから。
ただ、一秒って、短い時間かもしれないけど、
光って、一秒に、地球を7周半しちゃうんだよね。
光はただ突っ走るだけだから、大して偉いとは思いませんが、
人には、一秒で、何かを察する能力があるってことを、意識して過ごすのと、
そうでないのは、大きな違いがあると思うんですよね。
コンピュータの電算能力は、加速度的に進化しているけれど・・・
この、何かを「察する」「感じ取る」能力は、
今後何十年たっても、人間にしか(いや、動物もあるな)できない能力だと思う。
最近、取引先の会社の方から、ロボットコンテストの招待券をいただきました。
いけるかどうかわからないですが。
その会社のロビーには、二足歩行のロボットがありました。
「踊りなさい!」って言ったら、踊ったよ!
29万円らしい・・彼。
すごいなあ~って、わくわくしたけれど。
きっと、ロボットもどんどん進化していくんだろうね。
もしかしたら、そのうち、夜の店でも、
タバコを箱から、とりだしたら・・・ぱっと火をつけるような、
女性型ロボットなんか、できるかもね。
「いやいや、これからタバコを使った手品をやるんだよ」
なんて、火は、ノーサンキュー!よ。とか言ったら、
ロボットにひっぱたかれんだろうか。
「アナタ・ナニシタイノヨ・イミワカンナイヨ」なんて言いながら。
まあ、機械みたいな人間にならないように、
一秒で、何かを感じ取る能力だけは、
日ごろから訓練しておいたほうがいいかも。
仕事の上でも、遊びのときでも、飲みの時でも・・・
11階から逃げ出すことになったのも、
きっと、どこかの「一秒」がもたらしたことかもしれないから。
感じ取る能力は、大切だ。
一秒って・・・こわい。
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