今日のニュースで、GOOGLEの自動運転車が、
公道でバスと接触事故を起こしたとあった。
ま、これはおそらくだけど、そんな事故は、しょっちゅうしているだろうと。
それが、バスなのか電柱なのかはわかりませんが。
自動運転。。。
完璧になれば、損害保険会社が軒並みつぶれてしまうのでは・・・?
なんて、予測記事もあったっけ。
だって、ほれ、全部自動化したら事故が起きないから、
誰も保険に入らなくなるって論法だ。
でも・・・
ほんとうにそうなるのかな?
たとえば、時速60kmで走っているとする。
正面は左曲がりの急カーブ。
突然、右側から自転車が飛び出してくる。
左曲がりだから、カーブに沿って、タイトに左にハンドルを切る。
しかし、そこには歩行者もいて、かなり間隔が狭く、
歩行者にこすってしまうかもしれない状況。
ブレーキも、間に合わず、そのまま直進すれば、
ガードレールを飛び出して、ドスンと谷底に落ちて、ジ・エンド。
そんな状況だってある。
ようは、緊急時に何を優先するかのプログラミングが
とても難しいのではないかって思う。
「こんど、イスラムに輸出する車、ちゃんと仕様考えろよ!」
「仕様ってなんんすか?」
「バカ、牛と豚が同時に飛び出してきたら、豚を優先して轢くようにするんだよ」
「?」
「だって、牛は神様の化身だろ、牛より豚を守ったら、もうその国に輸出できんぞ!」
ま、簡単に言うと、そんなことか。。。
有名なロボット三原則。
1・ロボットは人に危害を加えてはならない。
2・ロボットは人間に服従しなければならない(ただし、1に反する場合はこの限りではない)
3・上記の1,2に反しない限り、ロボットは自身を守らなければならない
おそらく、世界中の技術者がこの3原則より、はるかに複雑な研究をしていることでしょう。
でもね、さっきの急カーブの話、牛と豚の話みたいに、
緊急時は原則通りにはいかない、
しかも瞬時の判断で、結論を出さないといけないんだよね。
自分が思うに、、、
自動車の運転しかり、なんでもしかり。
自分が正しいと思った判断を、常にしていくしかないってこった。
で、判断する訓練は、日々やらないといけない。
だって、何をするにせよ、人ぞれぞれ優先順位ってのがあるはず。
それは、極端に言えば、法律より上、宗教より上の、
個人個人の思想信条、生き方って言えるかもしれない。
もし、ノーマル仕様の自動運転車に未来があるとすれば、
歩道、車道の完全隔離がまず前提。
そして、事故の優先順位(一台の大破か、10台の中破か)
被害についても優先順位(1人のかなり高い確率の死亡可能性か、
10人のほぼ確実な重軽傷者の発生か)
それを、社会の責任で決めてからでないと難しいと思う。
そんな未来がもし実現できるなら、
きっと、世界平和が来るんじゃないかね。
宗教対立もない。
最近、ホーキンス博士が言っているように、
科学の発展が将来的に、世界を滅ぼす・・・
ってのは、もしかしたら、合っているのかもしれないな。
人の命の優先順位なんて、永遠に決められないことを、
完全自動化のロボット社会になったら、
そりゃ、矛盾だらけの世界になって破滅するかも。
結局は、人の判断が最後は大事だ。
それが、例え間違っていたとしても。
少なくとも、全滅は避けられる。
そんなふうに思う。
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