プリンシプルのない日本

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最近、電車の中で読もうと、白州次郎の「プリンシプルのない日本」という本を
買いました(文庫だけどね)。

プリンシプル・・・原理・原則?でいんだっけかな。

白州次郎っていうと、戦後日本のためにひと肌脱いだ偉い人、
みたいな感じですが、
まあ、なんとなく手にとって、パラパラっとみて買いました。

随筆というか評論といか、まあ、コラムみたいで読みやすいです。

自分は、コラムを読むのが好きです。
短い文章ですが、こんなこと考えてるみたいなのって、
あまり長い小説みたいなのより、このくらい(5~6ページでひとつ)が
ちょうどいい。

この人の場合、やはり政治や経済や外交など、日本に関わる文章が多いけど、
文章のスタイルがいい。
平易な感じで、わかりやすい。
「このやろ~」的な言葉もあり、スカッとしますよ(歴史の勉強にも)。

最近・・・・・

北朝鮮の砲撃(おととい)→国の末期症状のあらわれかな

海老蔵は酔って殴られ、歯を折られ(昨日)→親がTVで謝ってどうするよ!

でもって、今日は三島由紀夫の自衛隊切腹の日らしい(本日)
(最近ブームなんだって。でもググらないじほうがいいよ。生首の画像に
ぶちあたる!)

三島由紀夫も・・逝くなら一人でのべきでしたね。
早稲田の学生を道連れにしちゃったからな、ありゃいかん。
熱い思想を持ってたのは、評価するけど。
(いい悪い別にして)

まあ、世の中いろんなことがほんとに起きるもの。

白州次郎が生きてたら、今の状況で、どんなコラムを書くのかな。

プリンシプル・・か。

ひとつ言えるのは、集団になったり、子分を作ったりしなきゃ、
発揮できないのは、プリンシプルじゃないな。

よくある、集団催眠みたいな、「ビジネスマン向けの地獄の特訓」
あんなのに参加して、自分は変わりましたってヤツ、信じられん。
知識やノウハウは人から教えてもらっても、頭の中身をそんな
簡単に変えるべき?か?
ってか、その金で本買って読んで、自分で考えたほうがいいと思うなあ。

一人ひとりの生き方とか考え方に存在しなきゃいけないし、
シンプルに、自分の中で、原理・原則ってのがあればいいと思う。

でもね、原理・原則って、
多くは、なにかしら相手と接点があった際に、わかることが多い。
というか、自分のそれを通すか、通せるのかって判断を求められる。

と、偉そうなこと書いてますが・・・
自分が、大したプリンシプルを持ってますなんて、言えません~。
そんなの、大したもんじゃなくたっていいんです。
ただ、自分で、「何か」持って生きてればって思います。

どっかの社長が言ってたな。
十人参加した会議で、二人しか発言しないなら、
次から会議は二人でやれって。
時間は、5分の1で。

これ、あってます。

発言しないやつは、会議に出る必要ないから。

とにかく、発言する・・・ってのだって、一つの原理・原則かも。

仕事の中で、プリンシプルを通すのって、なかなか難しいし、
臨機応変な対応も必要なんだけど。

政治がだめ!って言う前に、
自分はどうよ?って、自分も含めて考えてみなきゃいけないのではないかなあ。

あきらめ・批判が多い世の中ですが、
「こうしよう!」っていう人が多くなるのが、唯一の景気向上の秘訣だ。きっと。


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